沈まぬ太陽

二つの太陽
 執筆中から話題の絶えなかった小説の映画化である。実際この長編小説を映画に再構成するのは大変だったろうと思う。
 私が感じたところでは、成功しているかどうかはともかく、ここに描かれているテーマの方向性には肯けるものがある。ただ全体の構図をわかりやすくする為にドラマ性を抑えてあるように思える。例えば演技をみれば解り易いけど、見られることを意識した芝居になっている。要するに舞台に近い動きをしている。その分だけ底の浅さは否めない。

 日本経済を支えた企業の功罪を描いた映画は数にいとまがない。昭和30年代、40年代特に多く製作されたように思う。この映画もそのうちの一つである。
 御巣鷹山の惨事が、この映画の核となっている。戦後の高度経済成長が背景に織りまれ、その出発点となる敗戦の惨状が、御巣鷹と相似形をとる構成になっている。
 日本が人道の罪を犯して敗戦し、膨大な犠牲をだして得た、日本国憲法を基盤にした民主主義を獲得し、解釈を重ね、判例を積んでそれを固有のものとして、未来を見据えるための道しるべにするまで育ててきた。その縮図を映画は描こうとしているようだ。
 渡辺 謙 が演じているのは一個の人間というより、日本企業がみ失わないようにしている、その良心という側面の方が強いようだ。
 始めのほうに、彼が像の眉間を打ち抜く場面がある。この姿は、遺族に謝罪に歩いている印象に馴染まない。これは野心である。会社も社員も抱くものだ。これが光にも影にもなる。彼にもこのトゲはぬけない。象牙がいつまでも部屋に飾られている。
 一般生活者と、彼との生活感覚のズレ。彼がいくら矜持としての良心を意識しても埋まらないズレ。無意識の野心の影が拭えない。それをどのように克服するか、御巣鷹は彼にどのように関わっているのか。興味はそこに集中していくわけだが、ドラマ性が希薄なため、はっきりしない。犠牲者の慰問をとうしての御巣鷹山とアフリカの大地に、何か痛低するものがあるのだろうが漠然として像を結ばない。
 御巣鷹山の状況、事故の原因、会社の対応の全体像、夫々の詳細の描写がもうすこしあればと思う。

 ところで、戦後の企業悪と言えば水俣がまず思い浮かぶが、これを映画にしようという会社は、昭和40年代はともかく、今はまずないだろう。たぶんモチーフに華がないからだろう。山崎豊子さんの小説は、社会性の強いものが多いが、大学病院、銀行、商社、航空会社。映画になっているものは、エリートが働くところが圧倒的に多い。商業映画はそんなものだ。

(2009/10/30 キネマス)